CCMFの基本的な主張
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| DO-NOT-CALL制度に関するCCMFの現時点での考え方を一応整理しておきたいと思います。 DO-NOT-CALL制度の必要性 商品先物取引被害、為替証拠金取引被害のほとんどは、不当な電話勧誘から始まります。10倍、20倍、場合によっては40倍ものレバレッジをかけての金融取引は、本来、機関投資家や投資のプロが行うべき取引です。元本保証はおろか、投資額をはるかに超える損失の恐れのある高リスク金融商品は、不特定多数に対する電話勧誘や押し売りまがいの訪問販売になじまない商品です。従って、CCMFでは、これら高リスク金融商品に関する電話勧誘の規制は当然であると考えます。 消費者問題に詳しい弁護士会などでも、先物取引を始めとするハイリスク金融商品に関する電話勧誘・訪問勧誘を禁止するよう、法改正の提案をしているはずです。従って、この点に関する方針は、CCMFとほぼ同じであると考えてよいでしょう。 ところが、商品取引所法、金融商品販売法、あるいは消費者契約法などの制定に当たって、審議会での議論においては、必ずといってよいほど、不招請勧誘の禁止(事前の承諾無く、電話等の方法での勧誘を禁止すること)を法案に盛り込むことが議論されるにもかかわらず、最終的には法制化には至らなかった経緯があります。この「不招請勧誘の禁止」は、業者側の立場に立つならば、「営業自由の原則」の侵害、つまるところ業者側の「基本的人権」の侵害、と解釈される余地があるためかもしれません。 しかしながら、英国では86年の金融サービス法(注1)において、すでに金融商品の不招請勧誘が禁止されていました。そして、米国においては、今回のNational Do Not Call Registryが法制化されたのです。(米国の相当数の州においては、以前から州レベルでのDo Not Call Listが実施されていたみたいです。これも注目すべき点です。) 両国とも日本よりは、市場経済が活性化されている国だと思えるのですが、これは、単なる皮肉な結果に過ぎないのでしょうか?特に、英国は、規制緩和の代名詞となったビッグバンの発祥地です。市民社会(資本主義社会)の私法の基礎である「私的自治の原則」の根本理念は、「公平」という考え方にあるといわれています。米国やイギリスの制度は、非常に公平に作られています。業者に商品を売り込む権限をあたえるならば、消費者にも望まない売り込みを事前に拒絶する権限をあたえることは、極めて公平なことです。公平な法制度を持つ国において、私的自治の原則(つまりは自己責任の原則)に従って、市場が活性化するのは、皮肉でも何でもなく、当然のことではないか、と思うのは、私だけでしょうか? 反対に、金融商品販売法を例に日本の制度をみると、最もトラブルの多い業種である、商品先物取引を除外したり、(この時点で、そもそもアウトなんですね。)、金融商品を包括的に定めずに、個別・列挙的に定めたり、(だから為替証拠金取引に対処できなかった。)、リスクの告知に関して、リスクの程度・頻度・構造等を明らかにする義務を除外したり、(単に「リスクが有ります」と言えば、リスクの説明をしたことになるそうです。)、金融商品販売法は、抜け穴だらけの形式的な法律にすぎません。この法律は、業者本位で、非常に不公平であり、結果的に悪徳業者を野放しにするものとなりました。実際、為替証拠金取引の被害増加という、当然の結果が生じたわけです。(先物被害の増加はもっとすさまじいものがありますが。。。) 我が国のありかたは、真の意味の市民社会・民主主義社会とはいえないと思います。「営業自由の原則」は「私的自治の原則」「契約自由の原則」から派生すると考えられます。そこには、「契約したくないという自由」「契約拒否の自由」も当然含まれているはずです。このとき、断りも無く一方的に行われる電話・ファックス・電子メール・戸別訪問による契約の誘引は、「契約拒否の自由」を侵害するものです。 英米の制度は、「営業自由の原則」と「契約拒否の自由」とを天びんにのせ、公平を量ることにするとき、英国は、リスクのある金融商品は、不招請勧誘禁止とする、という形で、リスクの有無を基準に公平を量り(注4)、米国では、「勧誘を拒否する」という消費者の意思表示の有無を基準に公平を量ったと言えるでしょう。 特に米国でのDO-NOT-CALL制度は、1)消費者の意思表示を重視する点、2)現代的な、インターネット・情報処理技術を駆使する点、3)金融商品に限らず、広い範囲の商品(例えば羽根布団や資格商法など)にも適用可能な点でより先駆的な解決方法であると思われます。 CCMFは、我が国においても米国と同様のDO-NOT-CALL制度を早急に導入すべきである、と主張します。 一部で主張されている違憲性について 米国のDO-NOT-CALLに対して、一部には、違憲であるとの判断もでているみたいです。(まだ、深くは勉強していないので、正確なことはわかりません。)一つの問題点としては、DO-NOT-CALL-LISTに登録した人に対して、営利事業をおこなう事業者からの電話勧誘が禁止されるのに対し、政治家・政治団体および非営利事業を行う事業者からの勧誘は許可されている点が問題とされているみたいです。 ナルホド、非営利事業という看板を出しながら、教育用教材を販売する事業者がいる、(事実、沢山います!)、その一方で、営利事業として教材販売をおこなう事業者もいる。両者とも同じような商品を販売するにもかかわらず、非営利事業者の勧誘電話は許可され、営利事業者は禁止されるならば、「営利事業者は、営業に当たっての、表現の自由、言論出版の自由の侵害されている。」と主張できそうですね。これは、確かに、限りなく違憲に近い感じがします。 第一の解決は、非営利事業者からの勧誘も禁止することです。ただ、寄付金などに依存するNPOなどにとっては、大打撃です。 第二の解決としては、「表現の自由、言論出版の自由」の内容を吟味するべきかもしれません。つまり、「このCD教材を買いなさい。」という営業上の表現の自由は、営利事業者・非営利事業者にかかわらず、経済的自由権の範疇に属する権利であるのに対し、「契約を拒否する」と意思表示をすでに行っている個人が、営業上の電話勧誘から悩まされない権利は、「放っておいてもらう権利」としてのプライバシー権に属すものであり、日本国憲法でも幸福追求権として保護されている精神的自由の一つです。(注2) このとき、経済的自由権と精神的自由権との利害が衝突した場合、精神的自由権を優先するとするのが、憲法解釈の定石みたいです。精神的自由は壊されやすく、ひとたび侵害されると後がないなどの理由みたいです。しかも、DO-NOT-CALL-LISTには、住民の半数以上が登録をしている、という事実をみるならば、登録者に対する経済活動としての電話勧誘を禁止することは、大多数の個人のプライバシーを保護するという観点から、違憲とはならないと思われます。この観点に立つと、宗教団体某S協会が「このCD教材を買いなさい。」と登録者に電話勧誘することは、違反行為ですが、「100ドル献金お願いします。」と電話しても違反とはなりません。 一見すると後者の方がよい解決みたいですが、法的紛争を簡明に画一的に解決するという観点に立つならば、前者の解決の方がよいと思います。(ある表現が、経済活動にかかわる表現なのか、宗教など精神活動にかかわる表現なのかは、白黒つけにくい問題です。裁判になっても裁くことは困難です。)従って、CCMFとしては、第一の解決の立場に立ち、DO-NOT-CALL-LISTに登録されている個人に対する電話勧誘はなんであれ、営利事業者、非営利事業者の区別なく、一律に禁止されるべき、との立場をとりたいと思います。(注3) 2004年1月21日 CCMF 2004年1月22日 注2)、注3)、注4)追加 注1):「金融サービス法: 高度化複雑化する金融サービスに対して、専門的知識を持たない投資家を保護するため、1986年にイギリスで制定された法律。その内容は購入層のニーズにあった販売、詐欺的販売行為の禁止、情報開示の徹底などで、法律に基づいた自主規制の制定を目指すものである。適合性原則(Know your customer rule)、不招請勧誘の禁止、ディスクロージャー(情報開示)などの考え方は、安心して消費者が金融商品を購入する基礎となるものである。わが国でも金融ビッグバンのもとで銀行業界、保険業界、証券業界においてさまざまな金融商品が登場し、顧客保護のために統一的な規制が必要になり、金融商品販売法を立法化する過程で参考とされた。」(高校生のためのファイナンス入門より) http://www.saveinfo.or.jp/child/kokou/kokou202.html 注2):精神的自由権、特に内心の自由を対象とする自由権は、我が国の憲法では、思想・良心の自由、信仰の自由、学問研究の自由などが、それに該当するとされている。このとき、「放っておいてもらう権利」としてのプライバシー権も、そのような内心の自由権にあたのだろうか、との議論もあるかもしれない。これは、プライバシー権という言葉をもちだすと、日本国憲法上には、明文の規定がないために、幸福追求権という種種雑多の人権範疇に位置付けるしかないという技術論にすぎないと思われる。精神に対する、「放っておいてもらう自由」、あるいは「放っておいてもらう権利」の関係は、身体に対する「奴隷的拘束の禁止」の関係に相当する。思想・良心の自由、信仰の自由を保障する前提として、「放っておいてもらう自由」は必ず存在しなければならないのである。証明は容易である。「放っておいてもらう自由」を否定するならば、洗脳という方法を使えば、いとも簡単に思想・良心の自由、信仰の自由を侵害することが可能であるためである。 注3):この部分に関しては、あくまで暫定的な見解とのご理解をいただきたい。DO-NOT-CALLにも、もう少し議論を深めなければいけない部分がある、という点こそ重要であろう。「勧誘とは何か?」、「何を目的とする勧誘を制限すべきか?」、「制限を受ける勧誘の主体は何か?」、「どのような方法による勧誘が制限を受けるのか?」(DO-NOT-CALLに関しては、電話という方法に限定されるが、今後、「訪問」「電子メール」「ダイレクト・メール」などにも議論が波及することは必至であろう。)たとえば、同様の制度によって、「訪問勧誘」も禁止すべきだろうか?仮に禁止するならば、宗教団体や政治結社にとって、新規会員の獲得活動(いわゆる布教活動)は、いちじるしく困難になるにちがいない。これは、好ましくない。市民にとって体制(国家・政府)が、暴力化しつつあるとき、その暴力化に歯止めをかける数少ない希望が、そのような団体や結社であるためである。それ故、憲法は結社の自由を保障しているのだ。その意味で、政治家・政治団体をDO-NOT-CALLの規制から除外する意図は理解できる。 注4):金融サービス法において、不招請勧誘を禁止した背景は、その法律以前に不招請勧誘を契機とする、投資にかかわるトラブルが多発したためである。ここで、「リスクの有無を基準」というのは、視点を変えれば、「適合性原則」から当然に導かれる基準と言い換えてもよいかもしれない。「適合性原則」とは、「商品取引員や証券会社等の業者は、投資勧誘に際しては、投資者たる顧客の投資目的、財産状態及び投資経験にかんがみて、不適合な取引を勧誘してはならない」こと、とされている。このとき、不招請勧誘は、ニーズの有無(投資目的を云々する以前)、顧客の経験、財産状態、いずれも不明の状態で行われる勧誘である以上、数々の勧誘の中には、相当の確率で適合性原則に反する勧誘をともなうはずである。このとき、消費者側の財産上の安全を保護するという立場にたつならば、適合性原則を厳格に適用し、不招請勧誘を禁止すべき、との結論になる。 |